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6月最後の生存報告日の翌々日にある事件がおこり、右往左往するやら、落ち込むやら、体調崩すやら(プチ熱中症だったと思われ)。
毎日鎮痛剤を飲んでいた6月でした。
7月あたまは、お気に入りのイタリアン『カロローゾ』の5周年のお祝いに両親と行ってきました。
初めて行ったのが4年くらい前かしら。母とランチに行き、とても気に入って、それから友人や会社の人と行ってます。
母に言わせると「間違いがない」とのこと。確かに、いつ行っても満足させてもらえます。個人的には休日のランチがオススメ~。
翌日に、花組、蘭とむさんのお披露目公演を観てきました。『ファントム』。
私は宙時代の彼女しか知りませんが、相変わらずきらきらと星を振りまいていらっしゃいましたよ。
そして、宝塚のファントムは好青年だった。
しばらく見ないうちに、はなちゃんが上手くなっていた!
らんらんコンビ、お似合いだと思います。
しかし、花組を観に行くパッションは、やはりあがらず…。演目次第かしら。
翌週、織姫は杜の都へ。
まだ定期便が運航されておらず、臨時便扱いの時でした。座席数も少ない便で、少しさみしい感じ。乗客はビジネスマンや、観光客と思しき方々も。
仙台空港に近づいた時から着陸するまで、乗客のほとんどは話もせず、じっと窓の外を見ていました。私は通路側の席だったけれど、それでも私も窓の外を見てた。
滑走路脇の草原(だぶん以前は草原ではなかったはずなんだけれど)、そこここに水がたまっているのが見えて、わかっていたけれどショックでした。
着陸した瞬間に、やっと来られたよと思ったら涙が出た。
空港は縮小して運営されているようで、飛行機から直に地面に降り、歩いて空港内へ。
到着ゲートを抜けると、駅の待合室のような空間しかなく、到着ゲートと出発ゲートが隣接していた。搭乗口も出発口も各々ひとつだけ。
右奥にJAL、左奥にANAのカウンターがこじんまりと。お手洗いも、もちろん仮設。
迎えに来てくれた友人にまた言葉が詰まったけれど、再会を喜びつつ、二人して空港の様子に驚いていました。
空港からバスで市内へ。帰りも仙台駅からバスで空港へ向かったのですが、その道中、呆然と景色を見ていました。
空港の敷地内は瓦礫等の集積場となっているようで、うず高く車が積まれていた。
大きな水たまりがいくつもあった。たくさんのビニールハウスがあったであろう場所には骨組みが地面から20センチくらい出てるだけ。
そこに確かにあったものが、何もなくなっていた。妙に開けた空間が広がっていた。
道路から海なんて見えなかったのに、ずっと向こうに海が見えた。道路の海側は何もなくなっていて、道路を隔てて向こう側は普通に家が建っていた。
季節が変わって、緑が地面を覆っていたから当時の状況は薄れているのだろうけれど、確実にここまで津波が来たんだというのがわかった。
ニュースで何度も見ていた景色を実際に自分の目で見て、それはやっぱり相当ショックでした。
だからこそ、無事でいてくれた友人たちとご家族の笑顔を見られて本当に良かったと思った。
滞在中に何度か揺れたのですが、私は動いていたり、乗り物に乗っていたりで全く揺れを感知せずでした。
6月末から、また口内炎(舌の先だから言い方が違うかな)に悩まされていて、2週間ほどしてようやく治ったと思ったら、今度は喉に違和感。痛くはないので、風邪ではないしなんだろう?と思っていました。
すると、杜の都を発つ日に咳が出はじめて。翌週にはまた遠出予定だったので、帰阪早々にホームドクターを訪ね(この時点で発作のような咳が止まらず)、点滴してもらい、薬をもらったのでした。
その後、延々20日間ほど咳が止まらない。咳が続く風邪が流行っていると聞いたのはそれから一週間後くらいだったかな。注意してみれば、通勤電車でも同じような咳をしている方々が多数でした。