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列車に揺られながら、ぼんやりとしています。
気持ちが学生時代に戻ったようで、まだ帰ってこられない感じ。
昨日は同期が行ってみたいというココガーデンというところでランチをしました。
スイーツ以外のご飯ものは卵かけご飯しかなかったので、小学生ぶりくらいに卵かけご飯を食べました。
実は私、生卵が苦手で、卵かけご飯もまったく食べないのですが、タンパク質不足ということと、先日職場で受けた健康に関する講演会で『卵はいい』と聞いた影響もあり、卵かけご飯を食べてみました。
うん、美味しくいただきました。
それからそこの売りのパンケーキを仲間で分けていただきました。
スフレっぽくてしっとりふわふわ。こんなパンケーキもありなのね。
ランチ後は大学を覗きに行きました。
部外者(卒業生だけど)が入れるのかしら?と思ったけれど、ちょうど新入生の住宅斡旋などをしている時期で、入ることができました。
よくよく考えてみると、『保護者です』と言っても通る年齢になっているのよ、私たち!
久々の大学は、なんだろう、懐かしいとはまた違う感覚。戻りますね、当時に。
変わってる場所も新しくできたものももちろんあるのだけどね。
祝賀会は、ふつうはお偉い来賓がたくさんあって、その方々が中央の上座のテーブルにつき、卒業生は後ろの方のテーブルという席次なのだけど(過去2回出席した退官記念祝賀会もそうでした)、先生(教授)はそのやり方にずっと疑問を持っておられ、『主役は卒業生(教え子)だ』という考えだったとのこと。
なので、今回は来賓はまったく無く、先生と卒業生のみのまさに大同窓会でした。
出席者は100名弱。
上から下までざっくり40年の開きがある教え子たち、私たちはちょうと真ん中くらいの代です。
同期生とは卒業後も結婚式や旅行などで会う機会もあるのですが、先輩や後輩とはなかなかないですよね。
私たちが研究室に配属されたときのマスターやドクターの方々、留学生の方々、それから一つ下の後輩たち。
再会できたのが、とても嬉しく、また覚えていてくれたことが嬉しかった。
当時、ちゃんと私の居場所があったのだなあとしみじみしてしまった。
うちの大学は入学年度でその代を呼びます。
平成4年入学の私たちは『04(ぜろよん)』と呼ばれていました。
今回、現役の学生さんたちが『04の方々ですよね。お噂はかねがね』とたくさん話しかけてくれてびっくりでしたよ。
先生は私たちの代に特に思い入れを持ってくださっているようで、『04は永久欠番だ』と写真を見せながら、後輩たちに何度も何度も繰り返し話していらっしゃるそうです。
私たち、何かやらかした…?
…心当たりはありすぎるけれど(笑)
和やかで、あたたかくて、わいわいと楽しく、にぎやかな会でした。
企画運営をしてくれた一つ下の後輩(彼が現役生から『先生』と呼ばれていて、また時の流れを感じました。後輩はいつまでも後輩で、私たちの中ではまだ学生なイメージなのですよね)と、スタッフとして動いてくれていた現役生、何よりこの機会を設けてくださった先生に感謝です。
二次会を経て、三次会は同期で集いました。
『結婚した順番』とか『最後に会ったのはいつか』とか、今の近況などなど話は尽きず。
夜は鳥取在住の同期生のお家に泊めてもらったので、さらに話は続き。
十数年ぶりの再会のはずなのにそんなブランクは感じなくて、でもそれぞれが色々なことを乗り越えて今ここに至っているのだとわかりました。
こうして笑顔で再会できていることが、得難いことなんですよね。
またそれぞれの生活に戻っていくのですが、みんなにエールを送りたい。
そして、私もがんばるのです。
今日はもう少し西へ足を延ばしたり、城跡に行ったり。
空が広くて気持ちよかった。
もう少しで新大阪。『今』に戻る時間です。
気持ちが学生時代に戻ったようで、まだ帰ってこられない感じ。
昨日は同期が行ってみたいというココガーデンというところでランチをしました。
スイーツ以外のご飯ものは卵かけご飯しかなかったので、小学生ぶりくらいに卵かけご飯を食べました。
実は私、生卵が苦手で、卵かけご飯もまったく食べないのですが、タンパク質不足ということと、先日職場で受けた健康に関する講演会で『卵はいい』と聞いた影響もあり、卵かけご飯を食べてみました。
うん、美味しくいただきました。
それからそこの売りのパンケーキを仲間で分けていただきました。
スフレっぽくてしっとりふわふわ。こんなパンケーキもありなのね。
ランチ後は大学を覗きに行きました。
部外者(卒業生だけど)が入れるのかしら?と思ったけれど、ちょうど新入生の住宅斡旋などをしている時期で、入ることができました。
よくよく考えてみると、『保護者です』と言っても通る年齢になっているのよ、私たち!
久々の大学は、なんだろう、懐かしいとはまた違う感覚。戻りますね、当時に。
変わってる場所も新しくできたものももちろんあるのだけどね。
祝賀会は、ふつうはお偉い来賓がたくさんあって、その方々が中央の上座のテーブルにつき、卒業生は後ろの方のテーブルという席次なのだけど(過去2回出席した退官記念祝賀会もそうでした)、先生(教授)はそのやり方にずっと疑問を持っておられ、『主役は卒業生(教え子)だ』という考えだったとのこと。
なので、今回は来賓はまったく無く、先生と卒業生のみのまさに大同窓会でした。
出席者は100名弱。
上から下までざっくり40年の開きがある教え子たち、私たちはちょうと真ん中くらいの代です。
同期生とは卒業後も結婚式や旅行などで会う機会もあるのですが、先輩や後輩とはなかなかないですよね。
私たちが研究室に配属されたときのマスターやドクターの方々、留学生の方々、それから一つ下の後輩たち。
再会できたのが、とても嬉しく、また覚えていてくれたことが嬉しかった。
当時、ちゃんと私の居場所があったのだなあとしみじみしてしまった。
うちの大学は入学年度でその代を呼びます。
平成4年入学の私たちは『04(ぜろよん)』と呼ばれていました。
今回、現役の学生さんたちが『04の方々ですよね。お噂はかねがね』とたくさん話しかけてくれてびっくりでしたよ。
先生は私たちの代に特に思い入れを持ってくださっているようで、『04は永久欠番だ』と写真を見せながら、後輩たちに何度も何度も繰り返し話していらっしゃるそうです。
私たち、何かやらかした…?
…心当たりはありすぎるけれど(笑)
和やかで、あたたかくて、わいわいと楽しく、にぎやかな会でした。
企画運営をしてくれた一つ下の後輩(彼が現役生から『先生』と呼ばれていて、また時の流れを感じました。後輩はいつまでも後輩で、私たちの中ではまだ学生なイメージなのですよね)と、スタッフとして動いてくれていた現役生、何よりこの機会を設けてくださった先生に感謝です。
二次会を経て、三次会は同期で集いました。
『結婚した順番』とか『最後に会ったのはいつか』とか、今の近況などなど話は尽きず。
夜は鳥取在住の同期生のお家に泊めてもらったので、さらに話は続き。
十数年ぶりの再会のはずなのにそんなブランクは感じなくて、でもそれぞれが色々なことを乗り越えて今ここに至っているのだとわかりました。
こうして笑顔で再会できていることが、得難いことなんですよね。
またそれぞれの生活に戻っていくのですが、みんなにエールを送りたい。
そして、私もがんばるのです。
今日はもう少し西へ足を延ばしたり、城跡に行ったり。
空が広くて気持ちよかった。
もう少しで新大阪。『今』に戻る時間です。
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